弁護士紹介

 弁護士岩熊豊和

昭和47年11月 福岡県飯塚市に生まれる。

昭和54年4月 穂波町(現飯塚市)立若菜小学校に入学。小学校入学と同時に野球を始める。将来の夢は「プロ野球選手」。

昭和60年4月 穂波町(現飯塚市)立穂波西中学校に入学。野球部に入部。甲子園に憧れ、高校での甲子園出場を夢見るようになる。

昭和63年4月 福岡県立東筑高等学校入学。野球部に入部。甲子園出場を目指したが、出場はならず。

平成 3年3月  福岡県立東筑高等学校卒業

平成 5年4月 大阪大学法学部入学

平成 9年3月   大阪大学法学部卒業

平成10年10月 司法試験合格

平成11年4月 司法修習生(53期)

平成12年10月 弁護士に登録。現在に至る。福岡県弁護士会野球チーム「球団福岡」に在籍。現在はキャプテンを務めている。

活動等

公益財団法人日本体育協会ジュニアスポーツ法律アドバイザー(公益財団法人日本体育協会スポーツ少年団)

私のスポーツ歴

私は、小学校に入学したときから野球を始めました。

きっかけは、私の父が少年野球チームを作ったことでした。

父は、私をプロ野球選手に育てようとしたのではありません。

幼いころの私は体が弱かったため、「少しでも健康に育ってくれれば」との、両親の願いによるものでした。

子供だった私は、

  • 捕れなかったボールが捕れるようになった
  • どんなに頑張って投げても届かなかったのに届くようになった
  • バットにボールが当たるようになってヒットを打てるようになった

そのような「上手くなった」ということを実感するたびに、うれしくて、楽しくて、野球ができるときが待ち遠しくてしかたがありませんでした。

当時の夢は「プロ野球選手」。

毎日のように練習に励み、プロ野球の中継があるとテレビにかじりついて見ていました。

中学校に入学すると、私の夢は「プロ野球選手」から「甲子園に出たい」に変わっていました。

日頃の練習の成果を発揮し、汗と泥にまみれ、全力で戦い、勝っても涙、負けても涙する高校球児に憧れたからです。

そのような夢を抱いていたときに、少年野球時代のライバルチームの関係者からのお誘いもあり、縁あって、福岡県立東筑高等学校に入学し、野球部に所属しました。

同校での練習は、はっきりいってきつかったです。

上下関係も厳しく、監督や先輩方からはよく怒られました。

しかし、「辞めたい」「辞めよう」と思ったことは一度もありませんでした。

「甲子園に出たい」という気持ちが強かったからです。

私は一生懸命練習しました。

高校2年夏の県予選の際には、肋骨にヒビが入っているのに、「このチームで甲子園に出たい!そのためなら折れてもかまわない!」という決意で、ピッチャーとして登板したこともあります。

 

残念ながら甲子園に出場することはできませんでしたが、充実した高校野球生活を送ることができました。

その後、野球からは離れていたのですが、平成12年10月に弁護士登録した際、福岡県弁護士会の野球チーム「球団福岡」に勧誘されたのを機に、再び野球をすることになりました。

私が入部したときの球団福岡には、野球経験者はほとんどいませんでした。

正直いって、決して上手とはいえませんでした。

しかし、私が小学校1年生から高校3年生までの12年間に経験したことがないほど、選手がみな笑顔で、楽しそうに野球をする光景を目の当たりにしました。

自分のチームの選手がエラーしては笑う、デットボールを当てられたというのに笑う、出塁しただけなのに盛り上がる、試合に勝とうが負けようが(もちろん、負ければくやしいものの)その後は飲み会で野球話に花を咲かせる。

自分たちのチームだけでなく、他の弁護士会の野球チームとの交流の場でも同じ光景が繰り広げられています。

私は思ったのです。

「私は、『プロ野球選手になりたい』や『甲子園に出たい』という理由だけで野球をやっていたのではない。『野球が好きだからこそ野球をやってきたのだ』」と。

それ以来、私は「野球を楽しむ」ことをモットーに、今でも野球を続けています。

 

Pocket
LINEで送る