スポーツ界における体罰の真の再発防止策とは

罰走に起因する熱中症事故の発生

最近、部活動の現場において、選手が熱中症で倒れ、緊急搬送されるという事件が相次いで発生しました。

1つは、都立の知的障害特別支援学校のバスケットボール部の生徒が、設定タイムを達成できなかったことのペナルティーとして、1周450メートルある校舎外周を43周(距離して約19.4キロメートル)の罰走を命じられ、21周を走り終えたところで体調不良を訴えて打ち切りとなったものの、その2日後に罰走を再開し、約1時間経過後に自転車置き場付近で倒れたために救急搬送され、意識不明の重体となったというものです。

もう1つは、岐阜県の私立高校硬式野球部の生徒が、試合内容が悪かったにもかかわらず翌日の練習で集中していなかったなどの理由で、同部の男性コーチに100メートルを100本以上走るよう指示され、約3時間走った後、重度の熱中症で倒れ、一時、集中治療室に入るなど約1週間入院したというものです。

このような罰走により熱中症を発症して倒れたという事案はこれまでにも発生していました。

ここで、実際に裁判で争われたケースを紹介します。

平成23年6月6日、徳島県の県立高校硬式野球部の生徒が、同部の監督から、

  • 平成23年6月3日の県高校総体直前に1年生部員1名が野球部員でない同クラスの子を1回蹴ったことから、野球部員が暴力行為等の不祥事を起こすと硬式野球部が出場辞退を余儀なくされることもあり、今後こういうことが起きないように部員に徹底させるため、
  • 春季大会の成績は良かったが、その後の練習試合で連敗し、県高校総体でも大敗したのは油断があったと考えられることから、もう1回初心に返って気を引き締め直すため、
  • 夏の甲子園の予選大会まで1か月以上ある時期に体力作りをするため

などの理由で、100メートルダッシュを50本走るよう指示され、約1時間走った後、熱中症で倒れたために救急搬送されたものの、同年7月3日に熱中症を原因とする多臓器不全、汎発性血管内血液凝固症、肺出血により死亡しました。

この事案について、高松高等裁判所は、同校野球部の監督に過失があるものと判断して、徳島県に対し、生徒の両親に対する損害賠償を命じました。

罰走は体罰である

上記3つの事案における罰走はいずれも体罰に該当します。

体罰とは「私的に罰を科す目的で行われる身体への暴力行為」と定義されています。

その成立要件は

  • 懲戒の対象となる行為に対して、
  • その懲戒内容が、被罰者の身体に対する侵害を内容とするか、被罰者に肉体的苦痛を与えるようなものであり、
  • その程度があくまでも「罰」の範疇であること

とされています。

しかし、上記3つの事案の顧問や監督・コーチは、生徒に指示した罰走が体罰にあたるという認識はなかったと思われます。

それは、「体罰」とは「暴力を振るうこと」というイメージがあるのに対し、罰走は暴力を振るったわけではないからです。

しかし、先ほどの成立要件にもあるように、体罰は、身体に対する侵害だけでなく、肉体的苦痛を与えることも含まれます。

罰走を命じるということは、生徒にとっては肉体的苦痛を受けることになりますから、当然に体罰にあたることになります。

したがって、罰走だけではなく、肉体的苦痛を受けるような過酷な練習メニューを課した場合には体罰に該当することになります。

体罰が発覚した事案は氷山の一角にすぎない

顧問や監督・コーチはなぜ罰走を命じたのでしょうか。

この点については、私自身の経験を踏まえて見解を述べます。

顧問や監督・コーチは、自分が選手であったころに同じような罰走を命じられた経験があるため、指導者の立場になった今、選手たちにも同じように指導するために罰走を命じたと考えられます。

自らが経験したことがなければ、罰走などということを思いつくわけがないのです。

そして、選手であった当時は、罰走を命じられたとしても、それを体罰であるという認識までは持っていなかったと思われます。

それは、指導者からの練習内容の指示はすべて練習の範囲内と考えており、その指示に従うのがもはや当たり前であって、むしろ指導者の指示に従わないということは考えられないからです。

この事実を踏まえると、上記3つの案件における生徒も体罰を受けているという認識はなかったものと考えられます。

つまり、現場では加害者・被害者ともに体罰であるという認識を持っていません。

このことがスポーツ界における体罰が表沙汰にならない原因ともいえるのです。

「再発防止に努める」とはいうが

このような体罰が行われたとしても、それが表沙汰にならなければ、問題視されることはありません。

おそらく、体罰が行われた現場でも、これまで表沙汰になっていないケースの場合には、特別な対応をするということはなかったものと思われます。

これに対して、救急搬送されたなどという事態にまで発展してしまったことで事態が明るみになったため、ようやく体罰が行われたことを公表することになったのでしょう。

つまり、体罰が発覚するのはほんの一握りの事案にすぎないのです。

そして、体罰を公表した際に繰り返されるのが「再発防止に努める」という言葉です。

同じような体罰を繰り返さないというのはいわば当然のことであって、「再発防止に努める」という決まり文句だけでは足りません。

本当に必要なのは、「再発防止のためにどのような活動を行うのか、また実際にどのような活動を行っているのか。」なのです。

しかし、実際にはおそらく「体罰を行うな」という指導がおこなわれているだけでしょう。

これでは抜本的な解決にはなりません。

私の考える真の再発防止策

では、私が考える、体罰の真の再発防止策は何かを述べたいと思います。

それは、指導者の意識改革です。

「なんだ?それは。そんなことで解決できるか。」とお叱りを受けそうなので、より具体的に説明したいと思います。

まず、体罰を行う指導者の目は、生徒や選手に向けられています。

「気合いが入っていない」

「ふがいない試合をした」

「あのミスのせいで試合に負けた」

このような生徒や選手に向けられた指導者の主観が原因となり、

「気合いを入れ直させる必要がある」

「二度とこのようなふがいない試合をしないようにさせなければならない」

「試合でミスをしないように鍛え直さなければならない」

という発想が浮かんできます。

その発想が、生徒や選手にとって「ためになる練習」へと結びつくのであれば問題はないのですが、それが罰走や過酷な練習メニューに結びついてしまいます。

なぜなら、指導者が選手であった当時、罰走や過酷な練習メニューを課せられていたからです。

もっというと、今の指導者は他の指導方法を知らないのです。

だからこそ、指導者の意識改革をしなければ、体罰の真の再発防止は図れないのです。

では、どのような意識改革を図るべきでしょうか。

「罰走や過酷な練習メニューを課してはならない」というだけでは、意識改革とはいえません。

もっと根本的なところから、意識改革を図る必要があります。

それは、

「気合いが入っていない」

「ふがいない試合をした」

「あのミスのせいで試合に負けた」

などと生徒や選手に向けられている目を

「気合いの入ったプレーをさせるためにはどうしたらいいのか」

「選手にふがいない試合をさせないためにはどうしたらいいのか」

「ミスを挽回するためにはどのような采配を振るべきだったのか」

と、指導者自身に向けるのです。

ひょっとすると、このような発想の転換を求めることは、指導者にとっては難しいことかもしれません。

これまでの自分の指導方法を否定することに他ならないからです。

しかし、よく思い返してほしいのです。

「なぜ指導者になろうと思ったのか」ということを。

それは「生徒や選手に少しでも上手くなってほしい」と考えたからではないでしょうか。

私は、指導者の原点はそこにあると思っています。

その原点に立ち返ったとき、生徒や選手を責めるのではなく、「伸ばす」ことを考えるはずです。

そうすると、罰走や過酷な練習メニューを課すよりも、時間を有効に使い、かつ効率的な練習メニューを考えるはずなのです。

最後に

このように、私は、スポーツ界における体罰の真の再発防止策は、指導者の意識改革であると考えています。

私は練習メニューや方法論にまで口出しすることはできません。

しかし、事故を未然に防ぐことや、「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を送る権利」の実現を図ることは、弁護士として当然に行うべき職務であると考えています。

これからも、スポーツの現場で起きている問題を報告するとともに、その解決策としての私の考えを明らかにしていきたいと考えています。

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